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一四〇〇年の斑鳩へ4

 平成31年1月に大阪出張の際に行った、奈良・法隆寺。今年は聖徳太子薨去(こうきょ)後1400年。前回は「柿食えば・・・」の句で有名な正岡子規の俳句や聖霊院(しょうりょういん)。そして大宝藏院(だいほうぞういん)に収められている玉虫の厨子などを書かせていただきました。今回はその最終回です。

 

 大宝藏院を後に夢殿へ。冬の陽の光が少し西に移り、更に聖域を静寂へと導いているようです。その途中、コンクリート造りの建物が現われますが「寺務所か何かだろう」。と気にも止めませんでした。 

 

するとガイドのボランティアさんが歩みを止め、「ここが金堂火災の際に焼損した壁画や柱などの材木が収められている収蔵庫です」と。この法隆寺の1回目に書かせていただきましたが、昭和24年1月26日の早朝、壁画の修復中だった法隆寺金堂で火災が起こりました。作業のため解体された建材や仏像は他に移されていたので難を逃れましたが、1300年前に描かれた修復中の壁画が焼損してしまいました。

 

焼損した壁画や柱が保存されている法隆寺の収蔵庫

 壁画は7世紀の飛鳥時代に描かれた日本最古の絵画で、インドのアジャンター石窟群や中国の敦煌莫高窟と並ぶ世界的な傑作と伝わります。火災で彩色が失われたが飛鳥時代の貴重な文化遺産として残った建材と共に昭和27年に完成した境内の収蔵庫で保存しているそうです。「すごい!残っているのですか?」火事と聞くと全て無くなったと思いますが、焼損なので残っているとの事です。「焼けても国宝なので、温度と湿度管理をしながら実際に焼けた柱を組み立てて建っている様に保存しています。

 

 毎年1月26日には法要が営まれます」。保存されていた事に驚きですが、毎年の法要もすごいと思いました。ものを大切にする日本人らしいですね。

 法隆寺金堂の火災をきっかけに文化財保護法が制定され、また、この日を文化財防火デーと定められました。日本各地の社寺等で消火訓練が行われています。そして法隆寺では二度とこのような惨事がおこらないように金堂壁画焼損自粛法要を営むそうです。

 収蔵庫から東側の参道を、いよいよ夢殿に向かいます。真っ直ぐのびた左右の土塀と敷石が美しく、子院が建ち並びます。門を配したりと佇まいが公家屋敷のようで、とても雅な雰囲気です。

 

夢殿へと向かう、趣のある参道

 

奥に夢殿の屋根が見えます。

 だんだんと正面に大きな屋根が見えてきます。門をくぐると中は清潔感にあふれ、凜とした佇まいです。「やっと来られた!」聖徳太子に会えるようでとても嬉しいのと、少し緊張もいたします。夢殿の石段を登ると、中央に大きな厨子が収められています。「ここのお厨子に救世観音が安置さてれいるんだな!」。

 夢殿の建つ場所は東院と呼ばれ、寺院が建つ前は斑鳩宮(いかるがのみや)と言う聖徳太子の一族の住まいがありました。その後、今から1282年前の天平11年に僧行信によって夢殿を中心として聖徳太子を祀る寺院が建てられました。平安時代には法隆寺の管理となり、東院と呼ばれるようになったそうです。

 

 そして夢殿には絶対秘仏の救世観音像が安置されます。救世観音像は聖徳太子の身長と同じと伝えられ、何と約180センチもあるそうです。この像を見ると聖徳太子の祟りがあると伝えられ、お坊さんでさえも像を見る事が出来なかったそうです。

 

美しい夢殿。左後ろには舎利殿と聖徳太子一代を描いた障子絵が納められた絵殿が建ちます。

 東京美術学校(後の東京芸術大学美術楽部の前身)の設立に尽力した、アメリカの東洋美術史家、アーネスト・フェロノサと言う方と岡倉天心が、救世観音像の封印を解き、明治政府のもと調査を行いました。厨子の扉を開く時には、祟りを恐れてお坊さんたちは居なくなってしまうほど。何重にも巻かれた麻の布は何と約450メートルもあり、これが保存を良くし、今でも像は煌びやかに輝いているそうです。

 

 「何でこんなにも長い布で巻くのかな?」と思いますよね、中学の時の国語の授業で法隆寺を勉強した時に、「聖徳太子の祟りを恐れて、長い麻布で何重にも巻きました」。と教わりました。でも、祟りは起こりませんでしたね。この一件をきっかけに明治の廃仏毀釈で多くの仏像や寺院が焼かれてしまう中、文化財保護が高まったそうです。

 私は写真でしか拝見できませんが1年に何度か厨子の扉が開かれ、公開されるそうです。聖徳太子を模して造られたとも伝わり、男性的ですが優しく品があるお姿です。昭和26年6月9日、救世観音像は国宝に指定されました。

 しばらく夢殿を眺めていると、ボランティアのガイドさんが「この夢殿は弔堂なので八角形なのです・・・」。と

「弔うお堂って八角なのですか?」と尋ねると、神仏をお祀りする普通のお堂は四角か六角で、故人の冥福を祈るためのお堂は八角なのだそうです。「なるほど!」まさに聖徳太子を弔うお堂なのですね。

 

夕暮れの陽にそまる法隆寺。何ともキレイでした。

 次は夢殿のお隣の中宮寺へ。中宮寺は国宝の菩薩半跏(ぼさつはんか)像が有名で楽しみです。「あっ、中宮寺はもう閉館です」とボランティアさん。「中宮寺はここに移ってきて法隆寺に間借りしているので閉まるのが早いんです」。「えー!?」仕方ありませんね。次回、またここに来る楽しみが出来ました。 

                                                おわり