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ニューズレター110号「楽しかった大人の遠足Ⅲ」

 このたび新型コロナウィルス感染症に罹患された方々には謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早いご快復を心よりお祈り申し上げます。これからはインフルエンザ等も流行りますので、充分ご用心くださいね。

 

 5月の緊急事態宣言の解除後、中学生時代の遠足で回った見沼に行こうと、自転車を走らせました。見沼通船掘(みぬまつうせんぼり)や会津藩ゆかりの見性院(けんしょういん)のご墓所などを見学をし、今回はその続きです。

 

 遠足では見沼田んぼを横切る浦和越谷線から信号を左折し、氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)まで真っ直ぐ延びた道を歩きました。当時はこの道の左右は植えられたばかりの早苗(さなえ)が青々と、その水面には空が青く映し出されていたのを覚えています。

 小学生の頃には手ぬぐいを二重にして縫った袋を持たされ、この辺りまで祖母にイナゴ取りに連れてこられました。人が近づくと、カサカサと稲の葉の裏に隠れますが、すぐ捕れます。今思えばとても懐かしい。小さい頃から虫は苦手でしたが、イナゴだけは今でも触れると思います。

 

 田んぼも現在は畑に姿を変えましたが、今も「やっぱり広いな!」と、大崎清掃事業所(おおさきせいそうじぎょうしょ)の大きな煙突を右に見て、自転車を走らせます。

 今回は見沼大橋を過ぎた当たりから、途中で左折。そこから見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)を北上いたします。

 

 

かわいいカルガモの親子。見沼代用水には、どんな生物がいるのでしょうね?

「桜が咲いたらきれいだろうな」。途中、代用水では亀が甲羅干しをしています。しばらくすると、カルガモの親子が3羽で泳いできました。すると、代用水に延びた作業用のスロープに上がり、親子で休憩をしました。「浦和にもこんな風景が見られるところがあるんだ!」と、愛らしい姿をしばらく眺めていました。カルガモの親子と別れ代用水沿いにすすむと、氷川女體神社の手前に、大きな公園が現われます。「そう言えば、何年前から公園だったかな・・・?」以前は田んぼだと思いましたが、立派な公園が出来たのですね。その見沼氷川公園で一休み。広い芝生と大きな池もあり木立の多さもとても良い雰囲気です。

 

 公園を出て赤い欄干の橋を渡ると、氷川女體神社。小高い丘に建立されています。「あー、何年ぶりだろう?」今は丘の様に見えますが、元は舌状に沼に張り出た小舌状台地(ぜつじょうだいち)だったそうです。

 

 

境内の外を回ると、張り出ていた地形が分かります。

 

屋根が葺き替えられ、整えられた社殿

 きっと石段のすぐ下まで、沼の波が押し寄せていたのでしょうね。それを想像するとNHKの番組、ブラタモリみたいで面白いです。氷川女體神社を後に見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)沿いの国昌寺(こくしょうじ)へ。

 

「確か木の骨組みで、その上にアスファルトが敷かれた橋を渡ったはず」。芝川に掛かる木の橋を渡りましたが、当時今にも崩れそうに古かったその上を車が渡るのをみて、「崩れたらどうしよう!」と、思うくらい恐かったのを覚えています。今はその橋も見つけられず、道も変わったようでした。

 国居昌寺はとても静かな佇まいで、その高台からは浦和やさいたま新都心方面が見えます。「確か前は富士山が見えたはず・・・」。広大な田んぼの向こうに、富士山を美しく望みました。「この数十年で、日本も相当発展した」。と、見沼田んぼの向こうに建ち並ぶビル群を見て思いました。里とビルの風景。なかなかこの風景もいいですね。

 「やっぱり立派な門だな!」国昌寺には大きな菊の紋が着いた門があります。開かずの門だそうで、きっと開くことは無いのでしょうね。

 

 

 

国昌寺の開かずの山門

 

左甚五郎が彫った、龍の彫刻

 その門には大きな龍と見沼の波がはめ込まれています。この龍は見沼で暴れる龍を封じ込める為に日光東照宮造営の帰りがけに左甚五郎(ひだりじんごろう)が彫り、この門に取り付けて封じ込めたと、遠足前に先生から聞いた事があります。

 

 国昌寺を後に三室の文殊寺(もんじゅじ)へ。文殊寺は我が家のお墓もあり、いつもお世話になっているお寺です。

 ご本尊(ほんぞん)の文殊菩薩(もんじゅぼざつ)は、元は氷川女體神社に一緒にお祀りされ、歴代のご住職は別当職と勤められました。多くの宝物が納められ、氷川女體神社は今では埼玉の正倉院とも言われているそうです。

 川越仙波(かわごえせんば)の無量寿寺(むりょうじゅじ)の性尊と言うお坊さん達によって687年前の正慶2年~暦応元年の5年を掛けて写された、大般若経六百巻が納められたそうです。また、三面の大きな絵馬が納められ、今は大般若経六百巻(だいはんにゃろっぴゃくかん)は氷川女體神社の宝物に。大絵馬は文殊寺のご本堂に掛けられています。

 

 

文殊寺のご本堂。これからの季節は境内の紅葉が見事です。

 文殊寺は明治の神仏分離令により、現在の地に遷られました。「三人寄れば文殊の知恵」の諺で有名な文殊様は知恵を授けてくださる仏様で、初詣には学業や合格祈願で多くの学生さんも並びます。私や妹や姪、従兄弟たちも合格祈願や厄除をして頂きました。小さい頃から来ているせいか、一番「ほっ」とする所でもあります。

 

 そう言えば、ご本堂に掛けられた大絵馬、お正月などの行事などに拝見いたしますが、三体のうちの一体について遠足の前に、中学校の先生から「氷川女體神社の鳥居の前まで見沼の水が寄せていたのが分かります」。と教えられたのを覚えています。

 今までそれを信じていましたがどうやら全く違うようで、現在の愛媛県今治市の瀬戸内海に浮かぶ大三島(おおみしま)の波と、鳥居が描かれているそうです。「先生も間違えるんだ・・・」。勉強は嫌いでしたが学校に行くのは楽しくて、今思えば大らかで良い時代だったと思います。

 

 

見事な紅葉の木が植えられています。

「それにしても中学生の時、こんなに歩いたんだ・・・今は絶対に無理!」考えたら、引率の先生も長い距離を歩きながら生徒の面倒を見なければいけなくて、相当大変だったでしょうね。 年ぶりに巡った見沼、いつまでも残してほしい風景です。芝川第一貯水池の完成も楽しみですね。 おわり