この度、新型コロナウィルス感染症に罹患された方々には謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早いご快復を心よりお祈り申し上げます。 一日も早い事態の収束を心よりお祈り申し上げます。(※2019年8月に鹽竃・仙台を訪れた時の内容です。)
この状況でニューズレターを発行して良いか躊躇しておりましたが、多くのお客様より「あの続きはまだ出さないの?」など、ありがたいお言葉と励ましを頂きました。本当にありがとうございます
昨年の8月28日に平泉と仙台に行った時の記事ですが、その続きを書かせていただきます。前号は美しい松島を、今回は塩竈(※1しおがま)や、活気ある仙台の街に行った時の事です。
本塩釜駅から鹽竈神社(しおがまじんじゃ)までは徒歩15分ですが、8月の下旬でまだ暑いのでタクシーで移動します。「歩かないで良かったかも・・・」。街中から坂道になり、小高い山に建立されているのです。
車を降り振り返ると、池の上に松を配した美しいお庭の先に広々と塩釜港が開け、松島からも見えたと思われる島々が、海の間に重なっています。「何てキレイな眺めだろう!」お庭と港と、寄り添う島々。普段なかなか見られない風景に感動いたします。
塩竈神社の左宮・右宮
海側の東神門から入ります。「あっ、ここも硯の石だ!」こちらも瑞巌寺(ずいがんじ)と同様の参道で、石巻産の稲井石(いないいし)と言う硯(すずり)の石が美しく整然と敷かれています。
鹽竈神社は、平安初期には建立されていたそうで、鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)を別宮(べつぐう)に、鹿島神宮と香取神宮の神様を左宮(さぐう)と右宮(うぐう)にお祀(まつ)りされています。鹿島、香取の神様を東北に案内されたのが鹽土老翁神で、シャチに乗って海を渡ってきたと言う伝説もあるそうです。この地では塩の作り方を人々に教えられ、海と塩と導きや博学の神様だそうです。「鮮やかで美しいな」。朱と金色の金具が栄えた、厳かな社殿が建ち並びます。
歌舞伎の伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)で有名な伊達騒動(だてのそうどう)で、綱村(つなむら・幼名亀千代丸)は毒殺されかけ僅か2歳で伊達家を継ぐ事になります。成長し 歳になった綱村は、自分の命と伊達家が続いたのは神仏のご加護によるものと、美しい社殿の造営をされたそうです。きっとその時に硯の敷石も敷かれたのでしょうね。
現在の社殿は316年前の宝永元年に建立され、伊達家の守護神の鹿島・香取の神様を祀る左宮と右宮は仙台の青葉城の方角の南に向き、塩の神様の別宮は海を背にして西向きに建てられています。門より正面に左宮右宮が建立されていますが、門を入り右の方に建つ別宮こそがメインのお宮です。
また、鹽竈神社に隣接する志波彦神社(しわひこじんじゃ)は元々違う場所に建立されていましたが、荒廃もあり昭和13年に鹽竈神社の隣に新しい社殿を建てられたそうです。鹽竈神社の朱の華やかさとは趣を異にし、朱と黒漆の落ち着いた雰囲気です。「やっと来られた!」と、鮮やかなお宮をしばらく眺めていました。
志波彦神社(しわひこじんじゃ)の神門
厳かな佇まいです。
仙台まで戻ろうと本塩釜駅に向かいます。仙台までは仙石線で約30分。線路を刻むリズムが心地よく、車窓を見る間も無く寝てしまいました。
翌日は楽しかった宮城も最終日。この日は仙台の市街を巡ります。レンタルサイクルに乗り、伊達政宗公(だてまさむねこう)ゆかりの青葉神社(あおばじんじゃ)などを巡ります。青葉神社は明治7年に仙台藩祖・伊達政宗公の遺徳を仰ぎ創建されたそうです。「わっ!こんなに太い鳥居が折れてる」。石鳥居のすぐ横に崩れた鳥居が保存されています。
それは東日本大震災の折に倒壊した鳥居だそうで、モニュメントとして今では「和」の文字が刻まれて残されているそうです。大震災の爪痕を間近にすると、何とも言葉に詰まる思いです。
安置された鳥居
仙台は杜の都と言いますが、大きい道路などは欅や公孫樹(いちょう)などの街路樹が多く植えられています。シャツの間を風だけが通りぬけて心地よく、残暑も違うように感じます。
自転車を返し今度はアーケード街へ。私は商店街を歩くのも好きで、仙台はとても楽しみでした。「ここが七夕でよくテレビに映るアーケードか」と、駅前から始まる大きなアーケード街へ進みます。その先に仙台と言えば藤崎百貨店(ふじさきひゃっかてん)さん。アーケードの左右と前方に建ち並び、ウインドーには有名ブランドが店頭を飾り高級感が漂う一角です。
藤崎百貨店さんの寝具部門に9年位前、西川の研修でご一緒した方がおられ、西川の展示会などでお会いすると気兼ねなく挨拶や会話をしてくださいました。前に伺ったお話では確か主任にご昇進されたそうで、今回はさすがにスーツも着けておりませんので、お伺いいたしませんでした。
駅の方へと戻ります。アーケードには楽器屋さんや生活用品のお店の他に、仙台で有名な最中や、笹かまぼこのお店、お土産屋さんなどがあり
とても賑やかです。
「お寺?」お店の間に賑やかに、三瀧山不動院(みたきさんふどういん)と言うお寺が建ちます。こちらがあの福の神、仙台四郎(せんだいしろう)のお寺でした。
三瀧山の仲見世
江戸時代の末期から明治にかけて実在した方で、仙台四郎が立ち寄る店は繁盛すると評判だったそうです。
あっという間に時間は13時過ぎ。お腹もへりました。仙台と言えば「牛タンは外せない!」と、有名店の利休(りきゅう)さんへ。暑いので生ビールと夏季限定の牛タンセットを注文。「美味い!」スライスされたタン塩はおなじみですが、仙台の牛タンは厚みがあり噛むとジワーッと味がしみ出て、とても美味しいです。
この時だけ限定の牛タンと牛タンステーキのセット。スープもとても美味しいです。
「仙台いいな。今度こっちに来たら、もう少し市内を見たいな・・・」。などとビールを飲みながら最後の時間を楽しみました。
ただ今、情勢がこのような状態ですが、早く終息して皆様楽しく出かけられるようになって欲しいですね。どうぞ皆様お体ご用心ください。
※1「鹽竈」「塩竈」「塩釜」と一般にはどの漢字が使っても良いとされていますが、昭和16年に公的に塩竈という表記に統一されます。鹽=塩ですが「竈」は「かまど」で、「釜」は金属製の調理器具と字義が違い、本来の「竈」を用います。